これは差別になるのか?
これは差別になるのか?さまざまな用語をご紹介します。
何を差別とするか、という線引きは法的にはありません。
放送禁止用語は「放送局側が自主規制で使わないと決めただけ」のと同様に、自分で決めるしかないのです。
ここでは、「差別だ!」という誰かがでてきた例をみていきましょう。
筒井康隆氏の断筆宣言
1993年、角川書店発行の高校国語の教科書に収録されることになった『無人警察』内の癲癇の記述が差別的であるとして、日本てんかん協会から抗議を受け、最終的に筒井氏が断筆宣言をする結果となった騒動です。
作家から「表現の自由を奪う」として、注目されることとなりました。
時代劇における「めくら」
視覚障害者のことを「めくら」と表現すること、「盲」を「めくら」と「読む」ことも差別とされています。
こういう発言がある古い映画、たとえば、『座頭市』をテレビで放送する際や、ビデオになるときに、その発言自体を削除して、無音になる処置がとられます。
最近は、オリジナルを尊重する動きもあり、ケーブルテレビや衛星放送の場合は、「差別的表現があったが、オリジナルを尊重している」という謝罪のメッセージが入るようです。
ただし、それは昔に作られた作品を仕方なく放送するときの処置であって、今から作るとなると、よほど力と度胸がある人ではない限り、そもそも、その言葉を避けます。
映画『武士の一分』では、時代考証的には「めくら」と表現しているはずなのに、「あいつぁ、目が見えないから」と現代をにおわせる言い回しになっていることに違和感を感じる時代劇ファンも多かったようです。
いずれ、座頭市に対してチンピラが怒鳴るシーンも「こぉの、目の見えない人がぁ!」となる日も近いのかもしれません。
作品における差別表現(?)
ある出版社では、四肢欠損が「連想できる」表現方法はすべてNGなんだそうです。
たとえば、私が好きだった漫画において、台詞では「4!」といっているのに、開いた指で5本になっている場面がありました。
何か違和感を感じたのですが、あとで調べてみると、「それだと指を欠損している人に対して差別表現になる」ということで、描き直されたのだそうです。
これも、放送禁止用語と同じく、自己規制らしく、会社によって変わるのかもしれません。
大安・仏滅は差別?
いわゆる「六曜」というものは、今日の日本においても影響力が強く、結婚式は大安がよい、葬式は友引を避けるなど、主に冠婚葬祭などの儀式と結びついて使用されていて、一般のカレンダーや手帳にも記載されているくらいです。
ある人権団体が、「六曜のような迷信を信じる事は差別につながる」として、積極的な廃止を求めていて、大津市役所が作成した2005年版職員手帳が六曜を載せていたために、抗議を受けて回収され、全て廃棄処分されるという事件も発生しました。